人前で話をする時に上がらぬよう、「人」という文字を掌に書いて、それを飲み込む仕草をする…という“おまじない”があります。

それと同様の考えで現在試しているのが、
「カプセルに入れた一文字を、自らを治癒する薬として飲み、胸の中に、文字の入ったカプセルの存在を、感じながら生活する」
というもの。
もちろん意識の上において、です。

病院で処方された薬、あるいは、様々な栄養補助剤など、多くの方が朝の食卓で、何らかの薬剤を口にされていることと存じます。
私も同様で、数種類の栄養補助食品を飲むのが、毎朝の習慣になっています。
その服用時、それらに加えて、「今の自分に必要な養分」を含んだ一文字を、ボール状のカプセルに入れて、ゴクンと飲み込むのです。
繰り返しますが、あくまでイメージの上で、であります。

そうすると、その「文字のカプセル」が、胸の中で一定のスペースを持ち作用して、自らの言動を、律したり、制したり、励ましたり…ということが、実際に起こるのです。

孔子の弟子・子貢は、師を評して、
「先生は、温・良・恭・倹・譲の五徳を持っていらっしゃるので、多くの人から相談を持ちかけられるのだ」
と述べていますが、それら全てを持ち合わせた人になることはできなくても、その中の一文字、たとえば「譲」という文字をカプセルに入れ服薬するならば、
「道を譲ったり、席を譲ったり、役を譲ったり、話を譲ったり…」
と、その日一日の、場面、場面における態度・対応が、きっと変わってくるのです。

貪(とん=むさぼり)、瞋(じん=いかり)、癡(ち=おろかさ)の「三毒」を誰もが持つ、と仏教では説きます。
人の心は、自ら清め、調える意志を放棄すると、ロクな方向には向かわぬのです。

欲、邪、嘘、覆(ふく=ごまかし)、慢、諂(てん=へつらい)、害…。
辞職した政治家や、女性閣僚の言行の非道さから、浮かぶ文字群です。
嫌、憎、侮、蔑、煽、脅、嘲…
民族や国家に公然と向けられる悪意があり、
疑、嫉、怨、恨、暴、傷、殺…
毎日のように短絡的な凶悪事件が発生しています。

毒物を胸に持って生きる人たち、
自分が毒を持っていることに気づかず暮らす人の、
何と多い社会でありましょう。
そして自分だって、いつ何どき、上にあげたような毒物を、胸に抱くかもしれないのです。
だからこそ、日々の服薬、解毒が必要だと考える次第です。

信、忍、敬、謝、許、誠、優、明、笑、楽…。
思いつくままに記しましたが、薬になってくれる文字は、数限りなく存在します。
折々の自分に必要な文字を考え、体に効く薬と共に、心に効く服薬を続けようと思います。

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