お刺身にはワサビ、おでんにはカラシ、うなぎには山椒、うどんには唐辛子、鍋物にはユズ胡椒、ピザにはタバスコ、ソーセージにはマスタード…。
日々の食生活を振り返ると、「辛(から)さ」を加える調味料を、随分と沢山、それも自ら求めて、摂取しているのに気づきます。

子どもの頃はそうではありませんでした。
「サビぬきのお寿司」を希望したりして、辛(から)いものは自分の生活圏から、出来るだけ遠ざけようとしていたわけです。
それが今では、「ワサビを付けないマグロのお刺身」なんて、逆に食べたくないような気持ちであります。

「辛(から)さ」を、味のバリエーションとして楽しめるようになったのは、何歳くらいのことで、それは、どんな“きっかけ”からだったのでしょう?
定かな記憶はありませんが、それが出来るようになった時が、「子ども~大人」への、ひとつの転換期であった気もいたします。

さて、どういうわけだか、「辛」という字は、「つらい」とも読むのでした。
上に記した、「辛(から)さを楽しむ能力」ということを、そのまま「辛(つら)さ」に当てはめるのは、安直に過ぎるとは思うのですが、しかしながら、「幼き自分」を振り返る時、それは「辛(つら)さを全否定しようとしていた時期」と、ほぼ重なるのであります。

端的な一例をあげれば、「正座による足の痛み」は、僧侶が乗り越えるべき課題のひとつですが、当初は、ちょっとでも足が辛(つら)くなると、すぐに「やーめた」と足を崩してしまうわけです。
ところが、いつの頃からか、そうした心持ちが、次第に変化し、「辛(つら)さに耐えようとする時間」が、長くなってまいります。

それは、
「辛(つら)さは我に、ただ苦痛だけを残し、去ってゆくのではない…」
ということを、何らかのきっかけで学んだ結果だと考えます。
例にあげた「正座」であれば、足の痛みという辛(つら)さに耐える中で、「所作の美」や「周囲からの賞賛」、何よりも「真っ直ぐになる心」といった、旨味を味わったことによる、態度の変化でありましょう。

「辛(つら)さを抱く」と書いて「辛抱(しんぼう)」でありますが、
(辛(から)さを味わうがごとく、辛(つら)さを人生の妙味として、受け止めようとする気構えが持てたらなぁ…)
と、そんな願いを抱くのです。

冒頭に記した食べ物たち、それらは通常、「ワサビのみ、カラシのみ、山椒のみ、唐辛子のみ…」という食べ方はいたしません。
その辛味を別の何かに添え、両者が一体になった時に、相乗効果で旨味が発生するのです。

(では、今そこに在る「辛(つら)さ」は、果たして何に添え、どんなものと一緒に味わえばよいのだろう…?)
明確な組み合わせの図式は、まだ見いだせておりませんが、そうした問題意識を、今後の「人生の工夫」として取り組んでゆきたいと思います。
何か良きアイデアをお持ちの方は、ぜひお教えくださいませ。
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