6月23日に行われた、沖縄全戦没者「慰霊の日」追悼式の模様を、皆さんはご覧になられたでしょうか?

「政府は民意に耳を傾け、辺野古への基地移設の中止を」
と、筋道を立てて説き、穏やかなトーンの中に、揺るがぬ信念を抱き訴えた、翁長雄志(おながたけし)知事の〈平和宣言〉には、多くの参列者から、賛意の拍手が湧きました。

続いて、地元高校生による「平和の詩」朗読が行われたのですが、その詩のタイトルになり、詩の主題として、朗読中、七回にわたり読み上げられたのが、表題とさせていただいた、
「みるく世(よ)がやゆら」
という、問いかけでした。

(え?ミルクがゆ?…どういう意味?)
中継のライブ映像視聴時には、朗読の音声に耳がついてゆけず、詩の全体像も捉えることができませんでしたので、翌日の新聞にて、改めて、タイトルの意味と、詩の全貌に触れた次第です。

安保法制審議を主目的とした、95日!に及ぶ国会会期延長が議決された、戦後70年の節目を迎える夏…。
沖縄に住む高校生が提起した詩想を聞き流してしまわずに、
「日本国内に、アメリカ軍の基地が在り続けること」
について、不思議に思う素直な感性を、自らの内に呼び戻そう、と考えております。

さて、「みるく世がやゆら」という、問いかけについてです。

「みるく世」とは、「弥勒世(みろくよ)」のことでした。
沖縄の島言葉の母音変化によって、「弥勒(みろく)」が「みるく」と口伝えされ、この言葉となったそうです。
そして、「がやゆら」は、「~でしょうか?」という、疑問文。

弥勒菩薩(みろくぼさつ)は、
「お釈迦さまがなくなってから、五十六億七千万年後に、この世に出現し、人々を悟りへと導く」
とされる、将来の救済仏(きゅうさいぶつ)です。
また、七福神のひとつである“布袋(ほてい)さま”は、弥勒菩薩の化身とされ、中国仏教ではしばしば、同一の尊像として祀られますので、「みるく世」は、「布袋さま(=弥勒)のもたらす福徳が遍満した世」という理解もできると考えます。

ですから、「みるく世がやゆら」というリフレインは、
「今の世・その場所は、弥勒菩薩が出現されたような、平和で安穏に暮らせる世の中でありましょうか?」
と、我々ひとりひとりに問う、重ねての呼びかけなのでありました。

「みるく世がやゆら」
耳に残るこの響きを、胸の中で、静かに繰り返しています。
「みるく世がやゆら?」
自らの人生を見回し、己に問いかけています。
「そこは弥勒の世か?」と…。

そうしてみて思うのは、
弥勒菩薩という救世主が出現し、我々を救いだしてくれる日の訪れを、ひたすら待ち続け、
布袋様が突然現れて、無条件に福楽を配ってくれるのを、ただ願っているだけでは、
「みるく世」の実現は、永遠に成されない、ということです。

そうではなく、我々のひとりひとりが、
「自らの周囲、生活の場を、弥勒の世に変えてゆこう」
と志向し、その実現に向けて工夫・努力を重ねる中で、各自の「みるく世」同士が繋がり、その範囲を広げてゆくのでしょう。

人格の否定、人権の侵害、利己主義、福の独占…。
「みるく世」の実現を阻む、そうした諸々を排除する意識を持ち、自分の住む小さな世界を、まず「弥勒の世」にしたいと思います。

「みるく世がやゆら?」
そう繰り返し、己に問いかけながら…。
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