よくこれだけのトンネルを作ったものだなぁ…)
車の運転中、そう感じることが、しばしばあります。
現在は、最新鋭の機械を使って掘り進めることですし、「あとどの位掘れば貫通する」という目安も明確に分かるわけですが、人力で掘削(くっさく)していた往時を思う時、貫通の暁までに、どれだけの辛苦と、強靱な意志が必要であったことかと、深く頭が下がるのであります。

松岡修造さんの〈日めくりカレンダー〉=『まいにち、修造!』(PHP)の中に、
「次に叩く一回で、その壁は破れるかもしれない」
というお言葉があります。
努力修行の積算回数によって、望む結果の到来が約束されているなら、誰しもが目標達成に至ることでしょうが、実際の人生においては、この先どれだけ頑張ればよいのか、明日の光明が見えぬ中で、折れそうになる気持ちをグッとこらえ、次の一鎚(いっつい)を重ねた者のみが、闇を突き抜け〈新世界〉へ進んで行けるのだ、と己に言い聞かせる次第です。

さて…
「新しい道路の竣工に、車のナビが追いついていない」
という体験を、皆さんもなさったことがあると思います。
すなわち、
「新たに開通した道路のデータが、使用中のナビにおいて更新されていない」
という状況です。

そうすると、実際には、新規開通した快適便利な道を走行しているにも関わらず、ナビの画面上では、野原や田んぼの中の「道なき道」を、無茶して突き進んでいるように映ります。

〈目的地設定〉をしている場合ですと、「Uターンしろ」とか、「次の交差点で曲がれ」とかの指示が出て、旧データのナビは、走行中の新道から既成道路へと、「降ろさせよう、道を変えさせよう」とするのであります。

その時にどうするか…?
もちろん、旧ナビの指示に従ってはならぬのです。
なぜなら、新しく出来た道が、今の場所から目的地へと導いてくれるのを、あなたは知っているからです。

飛躍した記述になりますが、こうした構造を自身に当てはめてみると、
新規開通の人生行路を、先行して知るのは、「己の真我(魂)」であります。
そして、そのデータ更新に追い付かず、旧来・既成の道へとナビゲートしようとするのは、「己の脳(表層意識)」であります。

真我(魂)の声に従い、新しい道を進むのか…?
それとも、
脳(表層意識)の指示を聞いて、また元の道に戻るのか…?

走り馴れぬ新たな道に〈不安〉はつきものですが、「貫」の一文字を抱き前進するならば、いつか必ずトンネルを突き抜け、光明世界へ至ると信ずるのです。

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