このところ、「片づけ」「身辺整理」といった話題が多く恐縮ですが、私自身の人生が今、“そういう段階”にあるのだと思います。お許しください。

「一に掃除、二に勤行(ごんぎょう)、三に学問…」
僧堂教育の基本として、常に教えられる心構えです。
本山における実際の修行も、起床するとすぐにまず掃除をし、それからお堂に入り“おつとめ”をし、そしてその後に教義等の学習、という順序に構成されています。

上記教えは勿論、掃除という〈行為自体の重要性〉を示すものでありますが、しかしながら、清掃会社職員の皆さんが、日々積み重ねていらっしゃる清掃業務によって、一様に悟りを開かれるわけではありません。
それよりもむしろ、〈清掃行為の結果〉現れる〈生活空間の美化・整備〉が、
「修行進展の大助力となる(逆の言い方をすると、生活空間の汚れ・乱れが修行前進の大障害となる)」
ということを教えるのが、こうした指導の眼目なのではないか、と感じる次第です。

そんなわけで、今日もまた、近藤麻理恵さん『人生がときめく片づけの魔法』より、大きな示唆を頂戴しつつ、家の片づけを続けている所なのですが、今回は、ご著書にあるアイデアを実践した結果、
「これは思った以上に凄い効果がある!」
と感じた事柄についてお伝えをいたします。

それは、
「浴室に何も置かない…」
という試みであります。

これまで人生の長きにわたり、
「浴室内に石鹸シャンプーなどを置くラックと、浴室掃除用のスポンジ・洗剤ラックがあるのは、当然かつ不可欠なこと」
と、疑いもせず思い込んでまいりました。

ところが近藤さんは勧めるのです。
「〈浴室〉と〈キッチンのシンク〉には何も置かない」
と…。
目からウロコでありました。

では今まで浴室にあった、石鹸やらシャンプーやらは、どうするのか…?

それは、
「銭湯に行くがごとく、家族各自にミニバスケットを用意し、そこにそれぞれが使用する入浴道具をセットし脱衣場等に置いておき、そしておフロに入る時に、〈マイバスセット〉を持って行く」
のです。
おフロ掃除用の洗剤やスポンジ類も、同様に、小さなバスケットへ移し、おフロの外に片づけました。

結果、「もしかしたら生まれてはじめて?」位の感覚で、〈モノが何もない浴室空間〉が生まれました。
たったそれだけのこと、なのですが、実際にやってみると、私においては、「入浴体験が今までとは別物」に変りました。
(湯桶・手桶・浴椅子については使用しておりますが、それらについても「何も置かぬ」実験によって、変化が及びました。その内容については別稿で…)

まず、湯船につかって浴室を眺めた時の〈視界〉が違います。
次に、二つのラックを浴室床から除いただけなのですが、おフロ掃除が、格段にやりやすく、かつ楽になりました。
そして、洗浴を終えたなら、使用したシャンプーのボトル、石鹸、ヒゲ剃り等の水気を、すぐに拭き取りマイバスケットへ戻すのですが、そうやっていると、それらは“水垢”やカビ等とは無縁で、常に清潔でありますし、何よりも、
(丁寧に生きているなぁ…)
という実感がしみじみと湧き、入浴の度、小さな明かりが心に灯るのです。

「聞・思・修(もん・し・しゅ)」と仏教では説きます。
生き方(人生)を変えるためには、
新しき教えを聞き(読み)、
その教えの妥当性(自分に合致するか)について考え、
そして少しでも役に立ちそうであれば、実際にやってみる…。
こうした一連の実践によって、人生は変化し、人は成長するのです。

読んだ本のすべて、聞いた話の全部を、実践することは難しいことです。
ですが、本を読んでも、話を聞いても、
「なるほどね…」
で終わってしまっては、何も起きないし、何も変わりません。

読んだ本の中、聞いたお話の中、一つだけでも、
「あ、これ、やってみようかな?」
と琴線に触れる“なにか”を感じた時、それを実験的にやってみると、自らの予想を超えた、更なる展開が待っていたりするものです。
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