先週は「おフロにモノを置かぬ」新習慣について記しました。
今週は「その環境変化が次にもたらしたこと」について書きます。

おフロから、〈石鹸・シャンプー類及びそれを納めるラック〉を排除した結果、浴室は想像以上に「サッパリした空間」になりました。
そこで湯船につかっていると、昨日までと同じおフロ場なのに、気持ちの“晴れ晴れ感”は、全く別物なのでした。

心地よさを満喫しながら入浴を楽しんでいた所、私の視界に入ってきたのが、十年以上にわたり使用してきた、〈プラスチック製の湯桶・手桶・浴椅子のセット〉でした。
それらは経年化により、多少のキズや黒ズミはあるものの、機能的には十分に使用可能で、昨日までの浴室環境においては、存在を主張することなく、「うちのおフロ場」に溶け込んで、そこに居(お)ったのでございます。

ところが、昨日までは全く気にならず使用し続けていた〈湯桶セット〉なのに、何も置いてない、サッパリ感漂う浴室環境の中で目にすると、「そこはかとない違和感」、「何となく浮いた感じ」が、急に出現したのです。
不思議なものであります。

「おフロ場・浴場」という文字の示すとおり、そこにも「場のエネルギー」が存在するのでありましょう。

家族各人が個別に所有しているシャンプー類の雑多なボトル、裏側に“水垢汚れ”がついたラック、掃除用の洗剤・スポンジ、そして、物があることにより、十分に乾ききらぬフロ床…。

そうした集合体が醸(かも)し出していたエネルギーが払拭(ふっしょく)され、サッパリ・サラリとした空間が現れた結果、旧来使用の〈プラスチック製の湯桶類〉は、新たな「場」のエネルギーに「そぐわない存在」として、逆に目立ち、私の目に映ったのだと考えます。

それで、心の赴くところに随い、「湯桶セットの入れ替え」をいたしました。
そう、プラスチック製のそれらを廃し、〈ヒノキ製の湯桶・手桶・浴イス〉(合計で1万円程)を求めたのです。

結果、我が家の入浴は、更なる楽しみと心地よさを、与えてくれるようになりました。

ヒノキの桶の中で水は、どうしてあんなに透明で、キレイに輝くのでしょう。
変かもしれませんが、桶に汲んだお湯を、ジーッと見つめてしまったりする私です。

入浴のたび、木と床が触れ合う「カコーン」という音が浴室に響き、懐かしい気持ちが湧いてまいります。
その音は、家族の入浴時にも聞こえてきて、それも「いいもの」なのです。

また、湯船につかった目線に、木肌が潤された浴イスや手桶が見えるのは誠に豊かなもので、そして何よりも、ほのかなヒノキの香りが、疲れを癒してくれるのであります。

そして、この「プラスチック→ヒノキ」への入れ替えは、「次なる行動の変化」へと連鎖いたしました。
すなわち…
ヒノキの湯桶で、従来使用のタオルをゆすいでいたら、何かそれが「無粋(ぶすい)」に見えたのです。
木の桶に、洋柄のタオルが、「そぐわぬ」ように感じたのです。

それで、坊主頭でもありますので、もとよりバスタオルは使用せず、タオル1枚で入浴を済ませてまいりましたが、今度は
「タオルから手ぬぐいへ、入浴スタイルを変えてみよう…」
という気持ちが湧き、早速、伝統的和柄の〈ガーゼ二枚合わせ手ぬぐい〉を数枚発注、使用を始めています。
吸い取ってくれる水分量は、タオルより少ないものの、占有スペースはタオルの四分の一以下だし、速乾性の利点もありますので、今度は「バスタオルのガーゼ化」を計画中です。

さて、長々と近況を綴りましたが、湯桶についても、タオルについても、従来の環境下では、「それを変えよう」という気持ちは、微塵も起きなかったのです。
ですが、一つの環境変化によって「場」が新生される中、
(これはここには、そぐわない…)
という直感を得る時、従来当り前のようにして存在していたものが、自然とそこから消えてゆくのでした。
そして同時に、新しい「場」に“そぐう”次なる存在が、入れ替わるようにして、そこへ現れるのでした。

この
「場にそぐわぬから、“そこ“から消える」
「場にそぐうので、“そこ“に在り続ける」
という視点を持って、自らを囲む諸々(モノ、人、勤め、立場等)を省みる時、己の現実が見えてくる気がいたします。
そして、可能な範囲で「場(環境)に何らかの変化を与える」というアプローチが、人生を好転させるための、とても有効な手段だということを学ぶのです。

※お暑うございます。お盆を迎えるため、16日はお休みさせていただきます。次回は23日に発行の予定です。
皆さまどうぞ、よいお盆休みをお過ごしください。
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