首相は、国会審議のさなか、民放バラエティ番組に出演するため、関西地方まで出かけて行くことが出来るのだから、近県で発生した大雨洪水による大災害に対して、すぐにでも現地へ赴き、陣頭指揮をとる等、具体的対策を示すべきではないのか。
現在審議している法案は、目の前で発生し進行中である被災、国民が直面している現実的危機、に優先させて、成立させなければならぬ程の、緊急性を有するものなのか。
福島第一原発にも、同様に大雨は降り注いだのに、伝えられる情報が、少なすぎるではないか。
東京オリンピックと聞いても、ワクワクする気持ちが、全く湧かないのは、私が変っているからだろうか?

上記、書かずもがなの愚考、と知りながら、書かずにいられなかった。
日に日に「能面化」する、公共放送アナウンサー・ニュースキャスターの表情、政権尻馬に乗る、女性閣僚たちの「したり顔」に、大きな嫌悪と、小さな恐怖を感じる昨今。
「♪いつか誰もが 花を愛し唄を歌い 返事じゃない言葉を喋りだすのなら 何千回もの なだらかに過ぎた季節が 僕にとても いとおしく思えてくる…」と、小沢健二さんは歌いましたが(『天使たちのシーン』)、何でみんな、もっと大らかになれないのだろう。
本当に心の底から、人間らしく笑い合えるようになりたいのです。

だけれども… 
ダライ・ラマさんの、邪気のない美しい微笑みは、何を経て生まれ、どのようにして保たれているのか…?
それを思うと、こうしてだらしなく漏らす、愚痴めいた言の葉の、情けなさに気づかねばなりませんね。
結局のところ、不可侵の「内面の金剛」を目指し、コツコツと「こころのお掃除」を継続するだけなのでありました。

という所で、心の耳に届いた、小さなお諭(さと)しのお声です…

《残像・残響の存在に、心を向ける必要があります。
あなたが今、新しい行動を取り入れ、新しい言葉を用い、新たな役目を果たしたとしても、目の前に現れるのは、過去のあなたが為した言動、生きてきた方法、に対する反応です。
あなたの新しさに対して、周囲はしばらくの間、今までと同じ、古い姿と音を示すのです。

その時に、気づき、心に言い聞かさねばなりません。
(これは残像だ。これは残響に過ぎぬのだ…)と。
そして、投げ出したり、諦めたりすることなく、新しい生き方を選択し続けてください。

残像・残響は、「そう見える、そう聞こえる」幻で、実際に“そこ”に存在するものではないのです。
それを忘れると、人はいつまでも、残像を見つづけ、残響を聞きつづけることになります。
それが「執着」「執念」と呼ばれるものです。

どうか心を静め、残像・残響が、ただ行きすぎるのを感じてください。
新世界の訪れが、あなたの下にありますように…》

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