先の号で、
「自分の心を潤すためのメニューを確保する」
ということをお伝えしましたが、
「心の糧となる本を読むこと」
は、多くの方に共通する、その代表的メニューだと思います。

ノートルダム清心学園の理事長・渡辺和子さんの一連のご著書は、私にとって、まさにそうした書籍です。
心が疲れた時、自然と手が伸びるのですが、たとえば『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬社)という本などは、もうそのタイトルを呟くだけで、「心の気付薬」「精神の疲労回復薬」として、作用して下さいます。
再読の度、心に響く箇所が異なり、新しい発見があります。
そして、
(投げやりになってはいけない。謙虚に、誠実に、足元を見つめて、我が道を行こう…)
という気持ちを、蘇らせてくれるのです。

今稿では、渡辺和子さんの新刊書籍から頂戴した、「心の糧」をご紹介いたします。

《しかしながら、そういう未練や甘えといったものが一つひとつ拒否され、自らも最後の依頼心を捨て去った時に、案外、道がひらけてくるものです。-中略-
それはちょうど、トンネルに入る前の明るさしか知らない人と、長く暗い、いつ果てるとも知れないトンネルを通り抜けて味わう、あの明るさを知った人との違いと言ってもいいかも知れません》
(『幸せはあなたの心が決める』PHP研究所より)

要点は二つです。
一点目は、道はどのようにひらけるのか。
二点目は、同じ“明るさ”に対する体感の違い。

(1)道はどのようにひらけるのか
困った時、苦しい時、
(こんなに困っているのだから、きっと誰かが自分をあわれんで、助けてくれるに違いない…)
という甘えを、とかく考えがちです。
しかしながら、そうした「待ちの姿勢」が生みだすものは、多くの場合、「人生の停滞」ではないでしょうか。

そうではなく、仮にそれが「追い詰められて…」の上であったとしても、依頼心をスパンと断ち切って問題と向き合い、「自分で何とかしょう」と行動へと身を転じた時、
周囲から、
「困難にめげず、あんなに頑張っているのだから応援しよう」
という助け舟が現れたり、
天上から見ている神さま仏さまの冥護が起きたり…という現象が、逆説的に生じることがあり、それが我々の人生における「道のひらけ方」の一つだ、と教えられた次第です。

(2)同じ“明るさ”に対する体感の違い
トンネルがない道を行くのと、トンネルがある道を行くのと…。

トンネルのない道を進む時、周囲の“明るさ”が「あたりまえ」になり、「明るさの有り難味」が薄れてゆきます。
というか、「明りの存在」に対して、無感覚になります。

一方、トンネルがある道を進み、トンネルに入ると、トンネルの暗さの中で、「明かりの有り難味」を実感することになります。
また、トンネルに入る前と、トンネルを出た所と、仮に両者の“明るさ”が同じであったとしても、トンネルを経た者は、その光を「以前よりも明るく」感じられるのではないでしょうか。

改めて申し上げるまでもありませんが、ここでいう道とは、私たちの歩む「人生」。
トンネルはもちろん、人生における「困難・苦悩」。
そして明るさは、頂戴している「様々な恩恵」であります。

生涯にわたり、一度もトンネルに入らない、という人はいないと思いますが、周囲を見渡して、人格的に未熟な人、どうしたって尊敬できない人、というのは、「辛い・苦しい・悲しい・不条理だ」という体験を、あまりしてこなかった人、という印象を持ちます。
(だからといって、進んで苦労を背負い込め、ということではありませんし、順風満帆の人生の中で、円満な人格を築いている方も、大勢いらっしゃいます)

申し上げたいことは、
「人生における苦悩・困難(トンネル内を進む日々)には、体験に値する、重要な意味・意義がある」
ということです。
そして、トンネルを脱け出た、ということは、暗さの中で歩を止めず、前を見て進み続けた証し、でありましょう。

トンネルを出た後も、身を取り巻く環境は、トンネルに入る前と、ほぼ同様かもしれません。
けれども、トンネルの中を諦めずに一歩一歩進んで来た人は、トンネルに入る前よりも、多くの事柄に感謝する力を持ち、人の痛み・苦しみの分かる人に、変化していると思うのです。

トンネルを経るごとに、人格は練られ、深まってゆきます。
トンネルの多い人生と、トンネルの少ない人生と、本当はどちらが幸せなのだろう…?
トンネルの中を歩みながら、そんなことを考える日々であります。

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